2024.11.15
不動産こぼれ話
こんにちは。
不動産コラム担当の市原です。
第10回不動産コラムは、不動産業界の「こんな話あんな話」をしようかと思います。
元々はおそらく口入屋から発展したと思われる不動産の世界ですが、不思議な話、変な話もたくさんあります。
今回は思いつくままに書いていこうと思います。
① 原野商法
昔は「原野商法」がよく社会を騒がせました。
簡単に言うと「詐欺」、つまり犯罪です。
高度成長期からバブル期には、東京オリンピック、札幌オリンピックや大阪、沖縄、つくば万博が開催されました。
また富裕層向けの別荘地として軽井沢や清里、富士山周辺の開発も進みました。
国家レベルのイベントや富裕者向けの別荘地周辺では、不動産で一儲けを考えていた個人に対して、訪問営業や電話営業、広告媒体で勧誘して、市街化調整区域や道路が接道していない山林や斜面地等をタネ地(今は安いがいずれ高くなる土地)として契約を迫るケースが多発しました。
不動産屋さんはだいたいこう言います。
「この周辺はいずれ〇〇で開発が進むので、今土地を購入しておけば必ず儲かります。」
実際はそんなことはありません。ただの原野です。
土地神話(土地は必ず値上がりするもの)という言葉が、当たり前のように思われていた昭和です。
不動産会社のセールスも巧妙で、直ちに契約を迫るので、ろくに確認も出来ません。
不動産会社では、サクラ(顧客のふりをする人)が目の前でどんどん契約する姿を見て、吸い寄せられるように契約をしてしまいます。
騙されたことに気づいたときは「時すでに遅し」。
会社に行っても既に「もぬけの殻」。 会社はもうそこにありません。
その時に騙されて購入した土地の固定資産税を、現在でも払い続けている人がいるのではないでしょうか?
数年前に前の職場で、富士の裾野で以前契約した土地を買い取って欲しい、と相談を受けたことがありましたが、担当者が現地に行くと道路もなく、現地の特定も大変困難で、うろうろしていた担当者を不審者と思った隣地の地主さんに声をかけられて訳を話したら、その地主さんの土地も一緒に買ってくれ、と言われる始末。
相談者は原野商法の被害者だったのかもしれません。
「不動産購入は現地を見てから」は鉄則です。
② 〇〇バス停から徒歩0分?
今は駅からの距離やバス停までの距離は、決められた不動産表示方法に基づいて、明示されますが、まだ法整備がされていない時期は、信じられない方法で交通表示がされていたことがあったようです。
駅からのバス便のマンション分譲をする際に、少しでも利便性をよく見せるために、正規のバス停からバス停自体を運んで、自分が売りたいマンションの前に置き、「〇〇バス停下車徒歩0分」と広告に唄った業者がある、と聞いたことがあります。現在では当然、宅建業法違反かつ公正取引委員会行き案件となり、処罰対象となります。
③ 監禁
これに近いことを最近までやっていた業者もあるかもしれません。
お客様の来店後に現地に案内して、会社に連れ帰り、部屋に閉じ込め、契約するまで帰らせない「監禁」をする不動産業者もいたようです。
私も20年ほど前に勤めていた会社で、上司から指示されたことがあります。
「お客様の現場案内が終わったら、必ず、連れて帰ってこい!」
夕方7時からの案内でしたが、会社に連れて行くと上司が待っており、午後10時を過ぎた頃、お客様が言いました。
「何故、こんな時間になるまで貴社にいなければいけないのか?」
上司は言いました。
「成り行きです。」
それを聞いた時、この会社の社員として居続けてはいけない、と。
「監禁」は明らかに犯罪です。
④ 両手取引
不動産取引において、不動産業者は売主と買主から仲介手数料をいただける可能性があります。4000万円の物件の場合、税抜で252万円の手数料をいただくことが出来ます。
「両手取引」と言います。
営業効率が良いので、意図的に両手取引を画策する不動産業者がいます。売主から売却依頼があると、不動産業者は媒介契約をします。媒介契約をした場合、不動産業者は不動産流通機構に物件登録しなければなりませんが、登録しなかったり、又は登録しても、業者からの客付けを断ったりします。つまり、物件の「囲い込み」です。「囲い込み」をされると、売却の長期化や売却価格の低価格につながります。2025年から法改正によりこの「囲い込み」が禁止となります。
⑤ 田んぼ
以前にも書きましたが、私が初めて就職した会社でその会社の社長が昔話をすることがあり、昭和30年代、東京都下で不動産を探す方向けに土地分譲をしたそうです。田んぼに縄を張り、ここが道路、ここが宅地、と縄張りして販売していた、と懐かしそうに話をしておりました。当然その頃は、水道は井戸、下水は汲み取り、ガスはなし、の時代です。
斜面地の分譲地では、雨が降れば道は川と化し、雨水で削れてしまい、車なんか通れる状態ではなかった場所もあったそうです。
⑥ ダンプカー
バブル期には露骨な嫌がらせ行為により地上げがよく行われていました。その頃は反社会的勢力等に対する規制もなく、会社の名前に傷をつけたくない不動産業者や反社会的勢力がバックにいる不動産業者が、地上げする店に一般客のふりをして営業妨害したり、ダンプカーや自動車を建物に突っ込ませるようなケースもありました。
実は最近でも都内のマンションで、マンションの住民に対して不動産業者による嫌がらせ行為による「地上げ」が新聞に取り上げられておりました。
⑦「呑む」「打つ」「買う」
不動産屋さんを「呑む」「打つ」「買う」でイメージしている人もいるのではないでしょうか?それは決して的外れではありません。昔は夜の街で「カモ」を見つけることもあったようです。居酒屋や雀荘で店長と仲良くなり信頼関係を作ります。夜の街に繰り出す隙のある地主を紹介してもらい、最初は不動産業者負担で頻繁に夜の世界に誘い、ギャンブルや夜の世界に興じさせ、家庭崩壊や自己破産寸前まで追い込んで、助けるふりをして安価で土地を買い叩く不動産業者もあったようです。
高額商品を売買する不動産業者。
精神的なストレスもかなり大きいので、不動産業者自身も喫煙飲酒で体を壊し、離婚が多いのも自業自得かもしれません。正に「太く」「短く」と言った人生です。
⑧ バブル崩壊後のつらい話
私がまだ20代の頃、バブル景気の真最中であり、土地価格が急騰していました。
都内の小さな土地も、あっという間に億単位の取引となり、地上げ屋が横行していました。サラリーマンの給料もどんどん上がり、不動産屋さんでない人たちも、いわゆる「土地ころがし」を始めました。
当時私は、千葉市の郊外のJR総武線の無人駅で大規模建売分譲の担当をしていましたが、
4か月間に土地価格が2000万円近くも急騰していました。
お客様も「もう買えなくなる」といった切迫感から、必死になって高倍率の不動産に申込みを入れ、抽選倍率10倍前後の中、購入していきました。
八王子の分譲地では抽選倍率が1000倍を超えたこともありました。
過熱する不動産ブームの中、私が担当したお客様で、建売住宅を不動産の買替で購入された5人家族を今でも思い出します。
そのお客様は苦労して買替をして引渡時大変喜んでいたので、私も良い仕事ができたかな?と思っておりましたが、それから半年後、バブルが崩壊しました。
株価や土地価格は急落し、不動産がまったく売れなくなりました。
バブル崩壊から1年後に、先程のお客様から電話がありました。
怒気を含んだ震えた声で「契約をなかったことにしてくれ!」
私には何もできませんでした。
会社にも報告しましたが、誰にもどうにもできませんでした。
不動産相場も急落していたので、そのお客様が不動産を売却しても住宅ローンが残る状態でした。その後、そのお客様とは連絡が取れなくなり、どうなったかは分かりません。
バブル崩壊により、様々な会社が倒産しました。
私がその時勤めていた会社もバブル崩壊の影響で、実質、倒産しました。
この時の記憶とトラウマが今、アートテラスホームの不動産担当としての立脚点のひとつとなっております。